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センターニュースNo.26 巻頭言

「飛行機」での移動について

理事長 五十嵐教行

今、飛行機に乗って移動をしています。千歳から福岡へ飛んでいます。この飛行機には日本ハムの選手が複数人乗っていました。もちろん彼らはエコノミーではありません。ですから、後から乗り込むお客の中には、席に着いた彼らに気づいた人たちがいます。選手が座っている席を通り過ぎる間は静かにいたお客は、「あれ、○○だよね」「そうだね、○○だね、やっぱりでかいね」とやや興奮気味に話し出します。

テレビの中でプレーしている彼らの近くを通り過ぎるわけですから、野球が好きな人ならやはり興奮するでしょう。  そんな中、私はある本のことを思い出します。その本は『アライブ』という題名の本です。アンデスの山中に飛行機が不時着するというものです。助かったのがラグビーチームのメンバーでした。彼らは雪の山の中でどのようにして生きながらえたのか、ルポルタージュのように書かれていました。夢中になって読み続けたことをよく覚えています。

そして、私は理解するのです。大切なチームは同じ飛行機には乗らないということについてです。2度に分けて移動をしているということです。確かにリスクマネジメントの意味においてもそれは重要なことです。  はたして、本日の飛行機には、日ハムの選手は何人が乗っていたのでしょうか。全員ではありません。ざっと見たところ、投手と捕手、野手の顔がバランスよくあるように感じました。ファンの一人として、安心しました。

万が一、ということはあり得ます。つまり、絶対に安心だということは誰にも言えないのです。ですが、その「絶対に安心だ」ということを手に入れるために、多くの人が努力しています。機長以下クルー全員、地上での整備士など多くの人たちが、私たち乗客を無事に目的地へと届けるために、自分たちの役割と機能を発揮しているわけです。

それでもかなわないものがあります。それは天候です。関係スタッフの努力と自然条件がそろって移動できていることに気がつきます。普段はまったく意識しませんが、あらためて考えてみるとそういうことなんだなーとわかります。

そういうものに感謝しながら、私はただただ席に着いてこの原稿を執筆しています。執筆しているのは私ですが、執筆ができるている背景には、それをさせてくれている人たちや人ではないモノの存在を忘れてはならないと自分に言い聞かせます。

だって、「執筆している」のではなく、「執筆させてもらっている」わけですから。      (2018.10.12執筆)

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