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センターニュースNo.33

巻頭言

死んだら、どうしてほしい? 私は・・・こうしてほしい

自分が死んだらどうしてほしいかということについて考えてみたい。新年早々、縁起が悪く感じられるかもしれないが、おつきあい願いたい。我が身の死とその後の我が身の取り扱われ方は、自身にとってすごく大切で重要なことであるが、残念ながら自身が関与することは難しい。多くの人は、おそらく自分のお式を自身でプロデュースしたいのではないかと思う。筆者は以前から友人や研究センターのスタッフに特に自身の通夜のあり方について説明し、そしてそれを実現してもらえるようにとお願いをしている。

さて、筆者は死んで、自宅の神棚の前で寝ていると仮定する。直後の筆者の枕元には、ご飯がお茶碗に山盛りでまんまるになってよそってある。そして割り箸がそのご飯のど真ん中にまっすぐに突き刺さっている( こうした作法( ? ) は私の出身地ではフツーだが、どうやら全国共通ではないようだ)。まずこれがいやなのだ。なぜ白飯だけしかないのか、しかも割れていない割り箸のままでは食べられないではないかと思ってしまうのである。

だから筆者は彼らに頼むのである。箸は割って茶碗の前に置いて欲しい、そしておかずはぜひともつけて欲しいと。すると必ず彼らは「何のおかずが良いのか」と訊いてくれる。

そこで私はいつも考える。死んだ後であっても、ほんの少し前までは生きていたわけだから、やはり食べ残してあったおかずを気にしているのかもしれないしナーと。だけどせっかく死んでから最初にいただく食事なんだからと考えると、けっこう悩む。考えるたびにおかずの内容が変わるので、自分はけっこう食い意地が張っているのだと感じる。現在はタラコとすじこの2 大魚卵を基本として、牛すじの煮込みをリクエストしたい。

次に、斎場にて通夜の儀式が始まる。お式が始まるまでの間、会場には私のラジオ番組をB G M として流してもらいたい。その際にはいつの放送であってもかまわない。

通夜の儀式が終わると、参列者のための食事やお酒が振る舞われる。その時が問題だ。

筆者は祭壇の一番下で、静かに棺桶の中で横たわっている。祭壇の前では皆が酒を飲んで話をしているわけだ。筆者の弔いのために集まってくれたのに、筆者はその話しの輪の中にはいないのである。

時々、短くなったろうそくを新しい物と取り替える時に祭壇に来てくれるけれど、やはり寂しい。実はここが肝心なお願いなのである。ぜひ叶えて欲しいと念を押して伝えているお願いなのだ。それは、祭壇から棺桶を出して皆の輪の中に加えてもらえないかという願いである。筆者だって楽しみたいのである。久しぶりに会う人が必ずいるはずだ。挨拶だってしたいし本日のお礼もしたい。もちろん、つもる話が筆者にもあるのだ。朝まで飲もう! と言いたいのだ。途中で帰宅する人が出てくれば、見送りはしたいし、その人が家にたどり着くまで、事故なんぞに合わないようにと無事を祈りたい。

今日という日は、あの世での私にとっての最初の最良の日なのである。

ところで、その輪の中にある棺桶なのだが、弔問に来ていただいた方に、この棺桶に直に私への寄せ書きを書いてもらいたいのだ。きれいな布につつまれてしまうよりも、いろいろ色のマジックで書かれた寄せ書きでにぎやかになった棺桶とともに、あの世へと続く扉の向こうへ向かいたい思うのである。あっ、棺桶の中には花ではなくて、私が愛用した広辞苑のページを1 枚破って入れて欲しい。あの世でも執筆したいから。

最後に。筆者からの提案を一つ。

毎年の恒例行事として年に一度、家族がそろうような日に自分のお式について話をしてはいかがでしょうか? 逝く人も送る人も納得のいくお式を手に入れるために・・・・・。

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